A Life With Adult ADHD

2014年にADHD持ちであることを確信した一人会社IT社長のブログ

快適に人生をやり過ごすために。【皆さまのADHDブログ

身なりで人を評価するということ

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anond.hatelabo.jp

内容は「いい革靴はいいものだよ」という旨の啓発系増田ダイアリーで特に異論はない。異論を持つほどの革靴の知識もない。面白い読み物だと思う。引っ掛かったのが以下の一行である。

安っぽい革靴やモドキの靴を「雑に」履いている人を見ると即興味を無くす(というか見てはいけないものを見てしまったというか)。

服飾雑貨にエネルギーを全振りしてる人「あるある」な価値観だ。何でこういう思考になるのか理解に苦しむ。いや、頭では分かるんだけどね。

「大した努力がいるわけでも才能がいるわけでもない。ちょっとネットで調べて少し金をかけるだけで断然印象がよくなるのに、なぜそれを放棄するのか」

気持ちは分かるよ。でも、そんなのほっとけである。靴がボロボロだって人生楽しんでるならそれでいいじゃないか。靴がピカピカだってこっそりと人を見下すような奴とはお近づきにはなりたくない。

僕は筋トレや食事をコントロールして体型を維持する努力をしているけど(体型の維持というより精神の安定を主眼に置くとこうなった)太った人を軽蔑するという発想にはならない。「なぜあなたは痩せる努力を放棄するのか?」ほっとけである。ちょっと何言ってるか分かんないですね。人にはそれぞれ悩みがあるのだ。他、僕は楽器を練習しているが、楽器が弾けない人を軽蔑しようとは思わない。当たり前だ。

面白いことに、ファッションに金を掛けて自我の一部として理論武装してる人にこういう「人を見下す」タイプが散見される。見下さないまでも「ファッションに鈍感な人よりも自分はより上位の立場にある(故にファッションの素晴らしさを下々のものに教えなければ)」みたいな、妙なマウント志向がある気がする。

なぜかと思って考えてみるが、やっぱりこれはファッションにあまりにい注力する人がしばしば「外見だけナニしてどうすんだよ」と揶揄されたり、服の金額を言ったら相手がドン引きしたとか、そういうネガティブな体験が積み重なって、ナイーブになってるからではないかな、と思う。

ファッションというのは趣味というよりは金持ちのレクリエーションであって、クリエーターとして全力なのはともかく、消費者として金額的な意味で無理して取り組むのはちょっとイタいんじゃねーかなとか思うのだが、何だかファッション業界の人を敵に回しているような文章になっているようでいてそんなことはなくて、僕はこれからファッションに自覚的に生きようと思っているので勘弁してください。がんばります。

多少高価でも、気に入った服があると人生の質があがるよね。うん。