A Life With Adult ADHD

2014年にADHD持ちであることを確信し、2017年に自身のサイコパス属性に気が付いた一人会社IT社長のブログ

快適に人生をやり過ごすために。【皆さまのADHDブログ

本日はお弁当&就活の考察。

おにぎらずは山芋入り鳥つくね。

本日のスープジャーは緊急回避パティーン。ネギを刻んだんにとろろ昆布を入れて、味噌と煮干し粉をそのまま入れたん。

食する一時間前に熱湯を注いだ。結果「これでええやん。充分やで」。忙しければ、手を抜けばええんやで。ただ、食べる前に十分撹拌&天地返しした積もりだったのに、味噌と出汁が底の方に残ってしまった。上澄みを「薄いなあ」と飲んで過ごして、底の方はしょっぱくて飲めなかったのである。明日はもう少し上手くやろう。単に天地返しするだけではダメなようだ。底の方からひっくり返すように、混ぜるのだ。

写真の後に、就活に関する考察。

よく「就活に際しては、自己分析が大事」などと(どっかの会社の人事担当やら就活アドバイザー?が)言うが、アホかと思う。お前は何か自己分析してるのか?その結果を話してみろよ。

20そこそこで、何が自己分析だ。

単なる「らっきょの皮むき」(by養老孟司)である。分析した挙句、何も残りはしない。

「自己分析した結果、私はこの仕事に向いている!この仕事をしたいと思いました!」と就活生が面接で主張する。

そんなもの、単なる思い込みである。ロクに仕事をしたこともない。何が分かるというのか。

しかし、容易に「思い込める」ほど素直なのは、良いことなのだ。自己陶酔といっては皮肉に過ぎるか。自己暗示。自己催眠術である。思い込みがなければ、前向きにはなれない。

面接官だって、ロクに分かってやしない。単なるフィーリングでしかない。誰を採用していいか分からないから悩んだ振りをする。あーだこーだ、ぐだぐだと残業する。試験して、数回面接して、それで就活生の何が分かるというのだ。結局重視されるのはコネとか外見とか学歴である。だって分からないんだからしょうがない。表面的なところで重みづけするしかない。

そこに「私はこれがやりたいんです!」と自己暗示に掛かってキラキラした目をした学生がくる。

「うーん。採用」となるわけだ。

就活など、茶番である。コネと学歴、外見。後は採用担当・面接担当の何の根拠もないフィーリング。これが全てであろう。

そんな就活だから、就活生の方は(もしこのブログを見ておられるようであれば)とにかく演技しまくりで、それこそショーンKを見習って頑張って欲しいと思うのだ。

自信と謙虚さ。その辺を上手くアレして、笑顔を作って、ハキハキ答えれば、ポイントは高い。どうせオッサン・オバサンったって、第一印象、第二印象程度では、何も分かりはしないのだ。

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とは言うものの。

AD(H)D or(and) ASD 者にとっては、結構自己分析は大事である。

自分は、どの程度AD(H)DあるいはASDなのか。

そこを見極めないと、幸せな就職は望めない。

コミュニケーションは大丈夫か?

細かい作業は苦にならないか?

じっとしていることは苦手か?

その辺りは、真剣に自己分析しなければならない。(もちろん面接官に伝えることではない)

そして、自分が続けられそうな仕事を、ちゃんと見極めなければならない。

ADHDという言葉なぞ知らず、適当に自己分析した挙句、私が辿り着いた結論は「小説家しかない」だったが、ロクに作品を仕上げることも出来ず、諦める他はなかった。

その後「何でもやりまっせ」の精神で、紆余曲折合ってIT一人会社やってるが、ラッキーだったというか、何とか現実と折り合いを付けつつ、落とし所に落ち着いたかな、という気がしている。

危ない所だった。実に。

もし、自分が大学生の頃、いや、高校の頃に、自身を「ADHD併発軽度ASD」と正確に分類出来ていたらどうだったか。

無意味な仮定ではあるが、ひょっとしたら弁護士にでもなってたかもしれない。(いろんな人との浅い付き合い。多様なコミュニケーション。外出する。ロジカルに行動する、語る)

少なくとも、大学の勉強も、就活も、ADHDと知らなくてやったよりも、充実していたに違いない。

何せ「良く分からないけど、自分は普通とは違う。普通の人の出来ることが上手くできない。一方で、普通の人に出来ない発想や行動をしているらしい」程度の認識だったのだ。この世に自分の居場所など、無いように思っていた。

ごく最近まで、危ない所だった。実に。よくここまでやって来れたと思う。(今も決して安全なわけではないwww)

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先日、超一流の学歴で、世界を股にかけて(ちょっとオーバーだけどそういうことにしておく)活躍している若い人たちと会った。

話を聞いていて思ったのは、やはり親が金持ちなんだろうな、ということ。そして、親が適切に教育やらに投資したということ。

それから、彼らに、その投資の成果を素直に吸収する力があったということ。

ADHDやらASDだと、そう話は簡単ではない。

前も書いたが、ADHD&ASDは、大リーグボール養成ギプスである。当人の、極めて強い足かせとなるのだ。

人知れず苦しみ、試行錯誤し、傷つくのがADHD&ASDである。素直に成長できないのである。

それが故に、ADHD&ASDが独特にクリエイティブであり得たり、魅力的であり得たりする可能性はあるものの、典型的な実業界での成功は、中々難しんじゃないかなあと思わされたりもしたのだ。

ADHD&ASDが活躍できる場所は、どうしてもニッチなエリアになりがちではないか。

しかも、リスクを取って。

ま、それはそれでチャレンジし甲斐があるかもしれない、などと思ったりもするのである。それもまた一興。

酔余の更新にしては重い話題であったが故に、支離滅裂気味となった。仕方ない。

以上なのだ。