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A Life With Adult ADHD

2014年にADHD持ちであることを確信し、2017年に自身のサイコパス属性に気が付いた一人会社IT社長のブログ

快適に人生をやり過ごすために。【皆さまのADHDブログ

「国境の南、太陽の西」

スプートニクの恋人を読んだ勢いで「国境の南、太陽の西」を再読した。

国境の南、太陽の西 (講談社文庫)

国境の南、太陽の西 (講談社文庫)

最初の数ページに目を通して、学生の頃に何度も読み返した記憶が蘇った。

忘れていたストーリーを、呼び起こしながらの心地よい再読だった。

久しぶりに読み返し「村上文学に共通する特徴」についていろいろと考える。

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主人公が周りの社会や人間関係に馴染めない。「本当に親しいと呼べる友人」が存在しないか、死んでいる。

主人公は登場人物を充分に理解することはないが、主要な登場人物は主人公に特別な何かを見出す。(一方通行の洞察。逆方向の場合もある)

主人公は自分の心地よい世界を作ることに関心がある。外部とは一線を画しマイペースなライフスタイルを構築する。

主人公は内面に壁を持っている。(比喩的 or 実際的に)

井戸。

「こちらの世界」と「あちらの世界」。

時折人を残酷なまでに傷つけてしまう。

身近な女性と付き合うが、本当に好きな女性、必要とする女性が別にいる。(身近な女性をひどく傷つけ失う場合と、あるいは身近な女性が実は本当に大事な女性だと気づく場合がある。本当に好きな女性は大抵死ぬ)

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何だかADHD&ASD的な世界観なんだよなあ。と思ってしまう。

上手く言えないんだけど。

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学生の頃、村上春樹を何度も読み返して、そこに何か大事なものを見出そうとしていた、その理由が今更ながら分かったような気がする。

当時の自分は「どうやら自分独特の生き辛さ」を抱えながら生きていくための答えを、村上春樹の著作から見出そうとしていたのだ。

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今はその「生き辛さ」をもう少し厳密に定義できる。

言わずもがなの「ADHDとASD」である。

ADHDとASDを抱えながら生きていくためにはどうしたらいいか。

村上春樹の著作を読んでもその答えはないことは、今では分かる。

結局のところ、自分で答えを出すしかない問題なのだ。

そんな風な観点で村上文学を(勝手に)解釈するのも、また味わい深いなどと思ったりもするのである。