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A Life With Adult ADHD

2014年にADHD持ちであることを確信し、2017年に自身のサイコパス属性に気が付いた一人会社IT社長のブログ

快適に人生をやり過ごすために。【皆さまのADHDブログ

ASDと結婚

最初に違和感を覚えたのは、風邪で寝込んだ時である。

「うーん、頭がくらくらする」とか「あー、関節が痛い」などと妻に訴えてみるが、こちらが思ったような反応(大丈夫?とか、苦しい?とか)がない。空気扱いなのである。

10年以上前の話だ。

夢の国の夜の駐車場はガラガラ。 f:id:scotchandsoda:20150817183911j:plain

妻が熱を出して起きられないこともある。

「調子はどうだ?大丈夫か?」と心配して声を掛ける。妻はいつでも「ゴメン、大丈夫」と返答する。一人で眉をしかめて、じっと耐えている。

そのうち自分で熱を測って「七度五分。ちょっと良くなった」などと言って起き上がり、軽めの家事などを始めるのである。

酔余の散歩もちょっと疲れてくる。なかなかいい距離だ。 f:id:scotchandsoda:20150817183916j:plain

スゲーと思う。七度五分では私は活動できない。ウトウトしたり軽い本を読んだりの繰り返しである。どんな軽い家事もこなせると思えない。タフだぜ。

そういえば小さい頃は体が弱かったと思い出す。

「オレが『風邪を引いて辛い』ことに同情を求めるのは、小さい頃体調を崩すと親が心配したからかな。対する妻は比較的頑丈ということもあり(一般に女の子の方が病気に強いというのが子持ちの通説)また恐らくは家の文化もあり、病人にいちいち構うという発想がないのだろう」

と納得したこともあるのだが、いやいやいや、やっぱり何か変じゃね?という違和感はずっとあったのよ。

ようやく到着Bay Side Station。酔余の散歩としては程よい距離だ。 f:id:scotchandsoda:20150817183920j:plain

村上春樹の昔のエッセイに、こんな記述があった。(以下記憶に基づく不正確な引用)

僕は昔から体が丈夫だ。風邪一つ引いたことがない。頭痛も二日酔いもない。だから、人から「頭が痛い」とか「二日酔いだ」とか言われても全く理解できない。「お前は同情心が薄い。冷酷だ」とよく非難されるのだが、それは僕がその痛みを知らないからである。例えば小指をタンスにぶつけたとか、僕もよく知っている痛みなら真剣に同情するのだ。女の人に生理の辛さを訴えられたって、そんなの『半魚人が鰓とヒレがこすれて痛い』と言っているのと同じで、さっぱり分からない。

あははー。半魚人ねー。上手いこと言うねー。などと昔は読み飛ばしていたが、今思えば変な話である。

モノレールから降車した人々が下りてくる。 f:id:scotchandsoda:20150817183924j:plain

私も頭痛も二日酔いも滅多にしたことはない。(下痢はほぼ毎日・・・・)

だからといって「頭痛がするんですよ」という人に、同情できないわけではない。かき氷を食べ過ぎた時を思い浮かべたり、いろいろ想像すれば、何となく同情できるのである。だって、語っている当人は同情を求めているのだから。

生理だってそうだ。仮に「キン○マをジャブされた」と思えば、その痛さは想像がつく。「そりゃ大変だねえ」と真剣に同情できる。

それを「半魚人」というのはネタとしてはアリだが、リアルに人の痛みに共感できないとしたらあんまりだよなぁと思われる。(個人的に村上春樹はASD併発ADHDと疑っている)

ホテルに戻る家族。ウチの家族ではない。オトウサンがいないのが気になる。ってウチの家族もオトウサン不在で移動してるのか。 f:id:scotchandsoda:20150817183929j:plain

やっぱり、ASDってある種の人の痛みが、分からないんじゃないだろうか。と、今は思うのである。

妻の場合は、他人(家族含む!)のフィジカルな痛みには、全く同情しないことが分かっている。病気も怪我も、全く同情してくれない。自分が病気になっても怪我をしても、全く同情を求めない。恐らくは痛みが閉じているのだろう。

逆に、人間関係の苦労には真剣に同情してくれるし、話を聞いてくれるし、時にワリと適切なアドバイスもしてくる。「それはあなたからみたらそうよね。でもあっちからすると、こう見てるかもしれないよ」「あー。そういう観点があったか!」とかとか。

人の痛みに閉じているメリットもある。例えば子供がケガをして血を流していると、私なぞ顔面蒼白背筋ゾワーのパニックで動けないのを、さっさと適切に処置してしまうのである。人の痛みに共感しないというのは、こういう局面では明らかにメリットだあ、と感じ入る。

早朝のビュッフェで野菜をたらふくたべて、いい気分でベッドに横たわり、D-Lifeを眺める余裕のワシ。 f:id:scotchandsoda:20150817183933j:plain

しかし「ある種の場面において、全く人に共感できない」ASDの特質は、結婚生活においては結構なリスクがある。

例えば自分(ASD持ち)には全く理解できない状況で配偶者が疲労困憊してるとき。

そんな時に自分(ASD持ち)は、配偶者が信じられないほど冷たい態度を取ってしまうのである。相手が一生忘れないほどの、離婚を考えるきっかけになりかねないほどの、ヒドイ態度を。

ASD持ちの同情エリアには、死角がある。

配偶者と長期的な関係を保つためは、相手にそのことを理解してもらうことは非常に重要なことだと思うのだ。