A Life With Adult ADHD

2014年にADHD持ちであることを確信し、2017年に自身のサイコパス属性に気が付いた一人会社IT社長のブログ

快適に人生をやり過ごすために。【皆さまのADHDブログ

ジョーゼフ・キャンベル「神話の力」 とか

やはり5月から6月にかけては精神的にも肉体的にも厳しい。

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夜は眠れないし、朝は起きるのがキツイ。

周りを見ても定型脳者も結構体調を崩しているようだ。(特にオジサン)

そんな中、鬱の数歩手前で何とか踏みとどまっている。

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通勤途中、過去に関わった嫌な人のことを次々と思い出した。

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人格障害という言葉があって、ADHDとかASDを含んでいる。   (と解釈している)

サイコパスという言葉があって、一般には刑事事件を起こす精神疾患持ちを指している。   (と解釈している。(正直ADHDは「激情型」でありサイコパスとは少し違うと思う。))

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それらとは違う。定型脳とかADHDとかASDといったカテゴリーには縛られない。「邪悪な」人たちである。

人を無意味に傷つける。人の気持ちをえぐってくる。人の気持ちを踏みにじり、相手の気持ちが狂いそうになるまで追い込んでくる。(定型脳者でこういう人を知ってるし、アスペ者でもこういう人を知っている。残念ながら(?)ADHD者にもいるに違いない)

どうして今更こいつらのことを思い出すのか?などと思いながら、はらわたが煮えかえるような、苦い思いをかみしめながら執務室に向かって歩いた。

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ふと気が付く。

何で今の今まで忘れていた嫌な人々のことを今さら思い出し、不愉快な感情をしつこく反芻するのかと。

ま、これも5月の気候のせいだろう。

だとしたら、気分転換しなきゃしょうがない。

気を取り直して、これまで出会ったステキな人たちのことを思い出しながら、会社に着いたのだ。

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鬱な気分になると、イヤな人間関係がフラッシュバックしては「ぐぬぬ」となる傾向がある。

他にも、普段は惹かれない哲学・宗教系の本に惹かれる傾向があるようだ。私の場合。

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最近は哲学系の本はお腹いっぱいになってきた。この年になってようやく「哲学なぞほとんどコケオドシではないか」という疑念が生まれつつある。

宗教系も一時禅にハマった。今もリスペクトしているが、ちょっと坐禅する暇がないからパス。

先日は「村上さんのところ」でたまに村上春樹が言及していたジョーゼフ・キャンベルの「神話の力」を読んでみた。

神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

うむ。

これだぜ。

宗教と哲学が取りこぼしたスキマを見事に拾ったというか。

久しぶりに感心して読んだのである。

いろいろシビレた。

人々はよく、われわれみんなが探し求めているのは生きることの意味だ、と言いますね。でも、ほんとうに求めているのはそれではないでしょう。人間がほんとうに求めているのは<いま生きているという経験>だと私は思います。

ぐうの根も出ない、というやつである。

「今が充実してる」「リア充」は、生きることの意味など問わない。

今自分が生きている実感がないから、生きる意味を問うのだ。

くよくよ悩んでると「私の生きる意味は・・・」などと考え始める。

でも、ふと見上げた空の美しさに見とれたり、美味い食事に没頭している時は、そんなことは考えないのである。

生きている、そのリアリティに集中できていないから、生きる意味を考え始めるのだ。

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だからといって、一旦「生きる意味は何だ?」という問いに目覚めてみると、残念ながらリア充に戻ることは難しくなる。

難しいが、不可能ではない。

「『生きる意味は何だ?』という問いを発する自分は、生きている実感を失っている」ということに気が付く。その上で改めて世界の美しさに陶然とする。

それもまた、人生のレベルアップだと思うのだ。