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A Life With Adult ADHD

2014年にADHD持ちであることを確信し、2017年に自身のサイコパス属性に気が付いた一人会社IT社長のブログ

快適に人生をやり過ごすために。【皆さまのADHDブログ

定型脳者との議論

ADHD者と定型脳者 NIKON Ai-s NIKKOR 28mm F2.8 E-P1

写真は二週間ほど前の石神井公園

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ADHD者はすぐに熱くなるが、定型脳者も負けてはいない。

ADHD者に負けず劣らず、熱くなる。主張する。そしてnot self-assuredなADHD者よりも頑固である。

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ADHD持ちとは異なり、定型脳者は変化を好まない。同じことだが、安定を好む。今日と同じ明日を志向する。

ADHD持ちは直球正論を吐く。「だってしょうがないじゃないか。そうはいっても仕方ないだろう。事実そうじゃねーか。現実を見ろよ」である。前向きである。

定型脳者はリスクを好まない。アンパイな正論にしがみつく。「いや、あるべき論で言えばそうじゃない。本来、これをしっかりやるべきだった」。ワリと後ろ向きである。(この辺り、ADHD者の肩を持ってるかも?)

議論は平行線である。

ADHD持ちとしては、先方の気持ちも分かる。

ただ、定型脳者が、こちらの気持ちを分かっているかどうか。不明である。頭では理解しているかもしれないが、はらわたは煮えくり返っていそうだ。

ADHD者としては、定型脳者に呆れてしまう。そんなしょうもないところにこだわってどうする。変わるのが嫌か。そこを曲げたところで、あんたの人生、どれだけ変わるのか。

定型脳者は逆なのだろうなと想像する。恐らく「そこは譲れないだろう」などと考えているのだろう。正直、理解し難い。

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そうはいっても、世の中そういうもんだ。苦労するんだ。人間だって、不完全なんだ。と主張するADHD持ち。(苦労した実体験からにじみ出た人生観だ)

あるべきはそうじゃないだろ。もっとちゃんとしてるべきだろと主張する定型脳者。(ルーチンワークが苦痛でない人間の発想だ)

議論は平行線である。話せばわかる、などと軽々しく言うものでもないなあ、と思うのだ。

しょうがねーだろ。などと半匿名ブログに書く他はないのである。

人間関係は難しく、理解者は少ないのだ。

諦めようぜ。みんな。