A Life With Adult ADHD

2014年にADHD持ちであることを確信し、2017年に自身のサイコパス属性に気が付いた一人会社IT社長のブログ

快適に人生をやり過ごすために。【皆さまのADHDブログ

フランスの騒動

言論を暴力で弾圧することは許されない。

と断言しておいて。

例のフランスの騒動で、原因となった風刺画を見た。

おう・・・。これは・・・

・・・下劣。低俗。くだらない。バカバカしい。レベルが低い。とにかくヒドい。

・・・なぜ、敢えてこれを書いたか。(書く必要があったとは思えぬ)

「これではとても擁護する気にならない」とすら思えた。

だからと言って殺されて当然と言っているわけではない。それとこれとは話が別。ボートはボートであり、ファックはファックである。

それにしても、日本であればこれほどの騒ぎにはなるまい。

殺す方は殺す方で「言語道断」だが、書く方は書く方で「いかがなものか」である。

一国の首相が出てきて「言論の自由」を云々することにはならないのではないか。

フランスの新聞社 シャルリー・エブド襲撃事件について - alternativeway

フランス社会の背景やら歴史を読んで、頭では理解できても、腑に落ちない感覚は残る。

違和感の底には日本的文化がある。

空気読め。自粛しろ。同調圧力の強い日本社会では「シャルリー・エブド」は誕生しない。しても、早々に潰される。

その代わりかどうか、Twitterやら2chで、下劣で低俗で下らなくてバカバカしい言説が飛び交っている。

匿名のネットで飛び交う激烈な言葉もまた、日本人の国民性の表れではないだろうか。(「匿名だからホンネが話せる」。正直、このブログも匿名性に甘えているところはある)

事務所を構えて実名で下劣な批判(あれは風刺というレベルじゃない)を繰り返していれば、狂人の標的にされてもしかたがないよな、などと思ったりもするのだ。(当たり前だが、殺人を正当化しているわけではない)

それにしても。

宗教に名を借りた暴力と、言論の自由一本槍の原理主義を見ていると、そこにある種の「分かりやすさ」や「風通しの良さ」を感じると共に、あっという間に血なまぐさい展開になるヨーロッパのあり方に、いささかの違和感を感じてしまうのは、わたしが日本人だからだろうと思うのだ。

現実世界でADHDだとカミングアウトできない(しない)ことに若干のフラストレーションを感じつつも「でも『実はわたしADHDなんすよ』などと言われても、周りの人は困るだろうから、黙っとこうか」などと配慮をしてしまうのである。

言論の自由。しゃべりたければ、しゃべっていいのか?

ADHD持ちは、定型神経の人とは違ったコンテキストで、抑圧やら自粛圧力にさらされているのであった。