A Life With Adult ADHD

2014年にADHD持ちであることを確信し、2017年に自身のサイコパス属性に気が付いた一人会社IT社長のブログ

快適に人生をやり過ごすために。【皆さまのADHDブログ

定型脳者との人付き合い

40にして人付き合いが広がる。

不思議だななあと思うと同時に、ありがたいなあ、と思う。

世界が広がった。

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ADHD持ちにとって、安定した人間関係というのは実に維持し難いものである。

「面倒臭えな」とか「ムカついた」とかの衝動がわいた次のタイミングでプチッと人間関係を断ち切ってしまう。

面倒臭いっすよ。かったりいっすよ。すり寄られると困るっすよ。生理的に嫌っすよ。

などと言いつつ、当方が弱ってくるとスリスリと他人にすり寄るのである。甘えるのである。頼りにするのである。

そして後から他人を頼りにしたことに自己嫌悪に陥り、当該の人間関係をプチッと切るのである。

人間関係が苦手なのは、ADHDから直接由来しているというのもあるだろうし、ADHDから後天的に派生したということもあろう。

どうしようもないのだ。ほとんど宿命である。

そんなこんなで昔からの知り合いがほとんど存在しない状況で40代を迎え、あろうことか、今さら、飲み友達が増えてきた。

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飲み友達には個性的な方が多い(普通に昼間っから酒飲んでるし、飲むときは5合飲むし、それ以外でも個性的だ)。皆が皆定型脳とは断言できないが、少なくともADHDらしい人は一名しかいない。その一名も、微妙な感じで確信は持てていない。

ADHD者の人間関係は、実にゆったりしているなあと感心するのである。

緩やかな好意が持続するのである。同性異性に関わらず。数か月合わなくても。Facebookでたまに、たまーに「いいね」するだけで。

信じられますか?

信じられない。と思った。今でも少し信じられない。

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恐らくは定型脳者にとっては人格は一定&持続しているのが前提なのだろうなと思う。

ころころ心変わりはしないのだ。

数か月間絶望に瀕して、その後なぜだか浮かれている。そんなことはないのだ。

昨日の自分は今日の自分なのだ。

ADHDを持っていると、そう簡単には行かないのである。

昨日は鬱だった。今日はさらにどん底だ。

と思ったら、ヒャッハー!何だかちょうしがいいぞ。

と思ったが、坐禅を組んでみるか。

坐禅でも落ち着かないから、自転車でも乗り回すか。

居てもたってもいられない、一体オレは何なんだという混乱とは無縁なのだ。定型脳者は。

どうも彼らはADHD持ちとは違って、結構穏やかな人生を送っているのだなあ、ということに遅ればせながら気が付きつつあるのである。