A Life With Adult ADHD

2014年にADHD持ちであることを確信し、2017年に自身のサイコパス属性に気が付いた一人会社IT社長のブログ

快適に人生をやり過ごすために。【皆さまのADHDブログ

ADHDとマイノリティ

中学二年生の頃だったろうか。

自分が他の人とは違うということに気が付いたのは。

もちろんその頃はADHDなどという言葉も知らず「どうも自分は周りとは違う。オカシイ」と思ったのだ。

中二病という言葉があるが、言い得て妙と思う。

いわゆる思春期、そして反抗期だ。体もどんどん成長してくる。学校の勉強も難しくなってくる。中学校三年は、人生で始めて直面する進路の分かれ道。性衝動やら暴力衝動が制御不能の如くに湧いて困惑する時期である。人間関係も複雑になってくる。

自我に目覚め、不安定になる時期である。

高校生時代もそんな感じで過ごした。思春期うぃずADHDである。こりゃ大変だ。周りと上手く距離が取れない。独りで悶々と過ごすばかり。

大学生になって受験のストレスもあり、「いよいよ自分はオカシイ。客観的に見てオカシイ。間違いない」と確信した。父に「オレは精神病院に行く」と宣言したら真剣に怒られた。(当時は自分のことを精神分裂病(今の統合失調症)ではないかと疑っていた)

周りからすれば「成績が滅茶苦茶悪いわけでもないし、受け答えもしっかりしている。何が精神病院だ。精神科だ。ふざけるな!甘えだ!」となるのだろう。

(確かに人間関係は不器用だし、やたら忘れ物はするし、部屋はとっ散らかってるし、集中力はないけど、だからと言って精神障害とまでは言えないだろう)

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その後、何とか第二志望の大学に合格し、受験のストレスから解放されて楽になった。

それでも「オレって普通の人と違う」という違和感は消えなかった。

こういう違和感は(若い頃は)どうしても表に出てしまうものだし(いや、オレってちょっと違うから・・・)、どうしても反感を買ってしまうものである(何カッコつけてんだコイツ。中二病かよ)。

その結果、どうしても人間関係がギクシャクしてくる。

自覚してもしなくてもシンドイADHDである。

「どう考えても自分はオカシイ。通常人と同じ土俵で評価されると困るのだが。しかし周り(通常人)は決してそう思わない。あくまで自分を『通常人』の土俵に乗せてこっちを批判してくる。困ったものだ」

外見は普通。ちょっと話す程度では分からない。でも、オカシイ。

そんなADHDを抱えて生きていたものだから、マイノリティに対する共感は強い。

何であれ「好き好んで背負ったわけではない自分の属性」に苦しむ人や、それを理由に『普通人』から攻撃されている人を見ると、他人事ではない気がするのである。

人を傷つけることに夢中になっている定型脳者の傲慢さに、敏感になっている。

つまり、ADHD者としての世界観と、定型脳者の世界観(あくまで想像するだけだが)、世界を二様に見ることができるというわけだ。

ADHD者の世界は、恐らくは定型脳者には想像もつかない世界だろうと思えば、少しは小気味よいではないか。

そういう意味では、ADHD持ちは少しだけ世界を豊かに生きているんじゃないか。前向きに考えておこうと思うのである。