A Life With Adult ADHD

2014年にADHD持ちであることを確信し、2017年に自身のサイコパス属性に気が付いた一人会社IT社長のブログ

快適に人生をやり過ごすために。【皆さまのADHDブログ

Not-to-do something is doing something.

鈴木俊龍の"ZEN MIND, BEGINNERS MIND"から気になった言葉を選んでつらつらと。

Good and bad are only in your mind. So we should not say, "This is good," or "This is bad." Instead of saing bad, you should say, "not-to-do"!

If you think "This is bad," it will create some confusion for you. So in the realm of pure religion there is no confusion of time and space, or good or bad. All that we should do is just do something as it comes. Do something! What ever it is, we should do it, even if it is not-doing something.

「良い」も「悪い」も、所詮はあなたの心の中にしかない。「これはいい」とか「悪い」などと決めつけるべきではない。「悪い」ではなく「すべきではない」と言おう。

「これは悪いことだ」などと考えると、すぐに混乱してしまう。純粋に宗教的な世界では、時間と空間が混じり合うことはない。「良い」も「悪い」も同じだ。われわれは「それ」に対して、ただ「何かをする」しかない。何かをしなさい。それが何であれ、我々は「すべき」なのだ。たとえそれが「何もしない」ことを「する」のであっても。

簡単な文章だが意味するところは深い。

我々は「アイツは悪いヤツだ」「消費税増税は悪い」「戦争は悪い」「人殺しは悪い」などと言う。

しかし、いざ「悪いって何だ?」と考え出すと、ちょっと面倒くさい話になる。

「どうして人を殺しちゃいけないの?人を殺すのが、どうして悪いことなの?」

ぐぬぬ

あるいは、

「オレは『悪い』のか?」と問うてみる。

「うーん。どうでしょう?悪いといえば悪いけど、それほど悪くもない?みたいな?」

答えなどない。

時間の無駄である。

「よい」も「悪い」もないのだ。

今、それをするか、しないか。

それだけだ。

「今、人を殺すべきではない。以上、きっぱり」

証明も何もない。ただひたすら「人を殺さない」ことを「する」のみ。(カントの定言命法を連想するが、あれは異常にロジカルに過ぎる)

坐禅を組んで、腹式呼吸をして、穏やかに生きていれば「人を殺すべきではない」ことは分かる。「人を殺してみたい」とか「アイツを殺さねば」というのは、オカシイことが分かる。(当たり前だ)

善悪の抽象論に入っていくと、それが分からなくなるのだ。

知らぬ間に「コトバ」の編み出した抽象に巻き取られて、がんじがらめになっているのが現代人である。

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それからこの"Not-to-do"理論はADHDや鬱にとっても嬉しい考え方だと思う。

話がちょっとズレるのは承知の上で。

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ADHDは、時間・空間に駆り立てられている。

今、ここから逃げ出したい。別の場所に行きたい。いてもたってもいられない。

そういう時に、いや、オレは今"anywhereにnot-to-go"を"do"しているのだ。と考える。

つまり「どこにも行かない」ことを全力で実践するのである。

これって、ADHD的には前向きでいい考え方だなあと感じるのは、わたしだけなのだろうか。(あまり自信はない)

それから鬱。

「何かをなさねば・・・でも出来ない。体が動かない」

と考えるのではなく、

「今、オレは『何もしない』ことを全力でしているのだ」

と考える。こちらの方がよほど健全である。

「『何もしない』ことには疲れたから、次は別のことをやろう」

などと発展したりね。

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頭だけ暴走したってしょうがない。

あれこれ考えて動けなくなってもしょうがない。

ただ、「する」か、「しないことをする」か、それだけの話だ。

実に的を射ている、と感心したのである。