A Life With Adult ADHD

2014年にADHD持ちであることを確信し、2017年に自身のサイコパス属性に気が付いた一人会社IT社長のブログ

快適に人生をやり過ごすために。【皆さまのADHDブログ

アスペルガーとADHDに関する考察あるいは逃避

時々「アスペルガーが入ったADHD」とか、あるいはその逆の「ADHD的なアスペルガー」とかいった表現を目にする。

大間違いである。

「枝葉末節にこだわる政治家」とか「大雑把な時計職人」などと言ってるようなものだ。ほとんど矛盾である。

中には、アスペルガーとADHDをいっしょくたに論じる専門家?もいるようだ。

無理解も甚だしい。

当事者から言わせれば、アスペルガーとADHDはほとんど対極的な存在なのだ。

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一方で、「アスペルガーとADHDは、症状としては重なり合う」という評価については認めざるをえない。

例えば、

  • 空気が読めない振る舞い
  • 過集中
  • パニックになりやすい
  • 不安にとらわれる
  • 睡眠の質が悪い
  • 自己評価の低さ

といった症状である。これらはADHDにもアスペルガーにも観察されると思われる。

だからといって「ADHDとアスペルガーが似ている」などと結論付けるとしたら、早とちりもいい加減にしろ、という話である。

ADHDが「空気が読めない振る舞い」をするのは、衝動的におバカな発言をしているだけである。ADHD持ちは空気が読めるし、他人の気持ちも分かるのである。

一方、アスペルガーが「空気が読めない振る舞い」をするのは、本当に読めないからである。アスペルガーにとっては空気は吸うものであって読むものではない。他人の気持ちも分からない。そもそも自と他の区別が無いのだ。時間と空間認識ですら、危ういのだ。

「過集中」。ADHD持ちの過集中は、一過性のものである。飽きが来る。あるいは、計算して自分をそこに持って行く場所である。そしてADHD者の過集中は、年齢と共に急に弱くなっていく。

一方、アスペルガーの「過集中」は、自と他の区別が稀薄な状況での、対象との融合である。いつまででも気になる。延々と囚われ続けるものである。

ADHD者の「パニック」は、お馴染みの注意散漫や衝動的行為から来る「うぎゃー!またやっちまった!」絶望である。

一方、アスペルガーの「パニック」は、「自と他の区別が稀薄」な世界観に、急激に介入してきた「他者」への拒否反応である。

ADHDの「睡眠障害」は、脳内花火が原因である。

一方、アスペルガーの「睡眠障害」は「自己意識が希薄なため『自己の意識をブラックアウトさせる』(=眠る)という概念がよく分からない」のが原因である。

不安障害、自己評価の低さも、ADHDとアスペルガーの結果であり、その根は全く異なる。

定型神経者からみれば、ADHD者に感じる違和感と、アスペルガーに感じる違和感は、似たようなものかもしれないが(本当にそうなら、ずいぶん鈍感な定型神経者だな、と思うが)、両者の存在様式は全く異なる。

「ADHDの入ったアスペルガー」とか「アスペルガー寄りのADHD持ち」などと言い始める「センセイ」がいたら、眉に唾漬けて話を聞いて間違いない。ADHDもアスペルガーも、全く理解していない可能性が高いのである。

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などと熱く語っているのは、事務処理とか決算処理から逃げているのである。

我が人生、ADHD的な「飽きる」「投げ出す」「事務処理からの逃避」衝動との戦いなのである。

やれやれ。本日はシラフだから、少しは処理を進めねば。ライター業も停滞気味だ。マズイ。

ADHDは、一旦火が付くと迅速に動くのだが、停滞してしまうと、それこそ居眠りした牛のようにあくまで動かないのだ・・・

後期)

この投稿の数か月後だか半年後だかに、ASD併発ADHDは十分あり得ると確信しております。自分がそうだったとはね。あと、妻も。