A Life With Adult ADHD

2014年にADHD持ちであることを確信し、2017年に自身のサイコパス属性に気が付いた一人会社IT社長のブログ

快適に人生をやり過ごすために。【皆さまのADHDブログ

思いでのマーニーとか

昼ビールはノーカウント理論に従う日曜日である。

13:00からゆったりとビールを一リットル。夏でもギリギリのラインだろう。

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酒は酒を呼ぶ。本日の夕方以降「酒を飲みたい」というしぶとい欲望に、どうやって逆らうかが課題である。

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昨日は馴染の居酒屋でちょっとしたイベントがあって、昼から5合近く頂いた。夕方は酒を控え、酔いが醒めつつある状況で21時頃に就寝したら、23時にパッチリ目が覚めた。

その後、ほぼ無意識に冷蔵庫を開け、500ml缶ビールを取り出して、数分で一気飲みした。意志が介在する余地は無かった。飲んだ直後、自分でもアホかと思った。というか、自分でアホかと思いながらビールを飲んだ。

腹が冷えるじゃないか。明日はお腹を下すに違いない。オレはアホか。(幸いお腹に関しては無事だった)

酒が酒を呼ぶというのは、かくも恐ろしい?状況なのである。

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昨日一昨日と、泥酔一歩手前(すなわち普段よりマシなレベル)で留めたが、やはり酒の力を借りて眠ったら睡眠の質が悪い。

夜、トイレで目が覚める。喉が渇いて目が覚める。朝の4:00頃にふと目が覚める。

一方、シラフのままブロチゾラムで就寝すると「朝までぐっすり目覚めは快適」である。

やはり酒の力を借りて眠るのはよろしくないのだ。

というか、今までだってそのことは分かっていたが、眠れなくて仕方がなく酒の力を借りていた。

朝まで眠るために泥酔していたんだから、我ながら気の毒な話だ。

プロチゾラムサマサマである。

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さて本題。

思い出のマーニーを見に行った。

朝いちばんの回である。

前日に酔っぱらって、8:40開始であることを確認していた。起床してから、その時刻をターゲットに朝食を食べ、シャワーを浴びて、余裕を持って出る準備をしていたら、妻から「念のためもう一度確認してみたら?」と言われて、再度放映スケジュールを見てみたら8:30開始であった。

余裕を持っていた(つもりだった)のが奏功したか、何とか放映に間に合ったが。

ADHDを持っているというのは、こういうことなのだなあ。と嘆息した次第である。どうしてもバタバタする宿命のようなのだ。

また本題からズレてしまった。

思い出のマーニー。

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良かった。佳作であった。

脚本が良かった。実に丁寧な映像化である。

文章だから許された曖昧な描写を、不自然がないようにまとめ上げている。

観客に「自然な解釈」の余地を提供している。

途中、少し"だれた"ものの、ラストの畳み掛ける展開は良かった。原作のエンディングを、見事に映像化している。非常に良くできていると感心したし、実際、感動した。

映像も美しい。

主人公の二人の少女の描写も(オッサンが理想化しているなあ、とは思いつつ)、悪くなかったと思う。

登場人物の描写は、ステレオタイプな感じがかえって良かった気がする。

アリエッティと比較して、上手くまとめたな、という印象である。

流れやセリフに違和感がなかったのだ。

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しかし。

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(以下、批判的なアレなので、これから見ようと思われている方がいらっしゃれば読まないことを推奨)

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はっきり言って物足りない。

いい映画を見ると、映画館を出た後に「自分が変わった」ような感覚があるものだ。

今まで見落としていたものを再発見したとか、人生で気づきがあったとか。

映画のメッセージも、悪くはないが、はっきり言って凡庸である。

原作のストーリーを、脚本が綺麗に再描画しているのだが、そのせいでメッセージが直截になり過ぎて、陳腐になってしまったようなのだ。

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宮崎駿監督作品と比較するのは酷かもしれないが、やはり想像力の爆発、世界観へののめり込み具合、グイグイと観客を引き込む強引な展開には欠けていると言わざるを得ない。すなわち「まっとう過ぎる」のである。

ここで話は強引にADHD方面へ。

宮崎駿監督を映像で見ると「どうしたってこの人はADHD持ちだろう」と感じられる。

貧乏ゆすり。

画面から伝わるイライラとした感じ。

スタッフに対する衝動的な発言や行動。怒りの発露。

チェーンスモーキング。

過集中。

そのADHDに由来する創造性、すなわち前頭葉のタガが緩んだ、イメージの爆発。

宮崎駿監督作品のスゴさは、そこにあるんじゃなかろうか。と、当方もADHD持ちとして、勝手に思い込んで溜飲を下げるところなのである。

以上。