A Life With Adult ADHD

2014年にADHD持ちであることを確信し、2017年に自身のサイコパス属性に気が付いた一人会社IT社長のブログ

快適に人生をやり過ごすために。【皆さまのADHDブログ

心地よく目が覚めた

これほど穏やかに目が覚めた朝は、ここ数年の記憶にない。

今朝特別気候が変わったとかはないように思う。

アルコールに関しては昨夜は適量だったと思われる。

職場の付き合いのみではほろ酔い未満をキープ。(人間関係がナニな職場だから、酔余ADHD的過激ぶっちゃけトークが炸裂しないように警戒したのだ)

その後行きつけの居酒屋でリラックス。(日本酒一合半きっかり。ちょっと奢って花陽浴の純米大吟醸が滅茶苦茶美味かった。純米大吟醸なのに味が濃くてフルーティ・・・ああ、余韻を思い出す・・・)

帰宅して焼酎を軽くあおって就寝。

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起床してから今まで、不思議と脳内花火が落ち着いている。アルコール自家処方が効いたのかいなと思ってみるが半信半疑だ。毎日毎日毎日ほろ酔い~泥酔までいろんなレベルで就寝しているのに、脳内F1レース大会は連日開催されているからである。

・・・思い当たった。

昨夜から「自己嫌悪」がない。「不安」も比較的少ない。

ADHD者としては実に珍しいことである。その延長だったのか。

これで腑に落ちた。

「心地よく目を覚ました」のは結果ではなく、むしろ原因だったのだ。(・・・「心地よく目を覚まし得る精神状態が昨日の夜から既にあった」という旨を言いたい)

意識的に「自己嫌悪」と「不安」を無くせるなら苦労はしないよなと思う。

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「やりたい仕事」「興味の持てる仕事」には集中して取り組めて、しかも、しばしばneurotypical(「典型的神経の人」と訳せば直訳過ぎるだろうか)を超える成果を出すことができる。これはADHD者の特徴の一つである。

(参考:Secrets of the ADHD Brain 大変面白い記事です)

ADHD者の「やりたい仕事」と「やるべき仕事」が重ならないと、悲劇が起こる。

「やるべき仕事」「やらないと他に迷惑がかかる仕事」であるだけでは、ADHD者はやる気を起こさないのだ。

いや、正確に言おう。

「やるべき仕事」「やらないと他に迷惑がかかる仕事」だからこそADHD者はやる気を起こせないのだ。

だから、ADHD者に起きるのは悲劇ばかりだ。

ADHD者がやる気を起こさない仕事は、決して着手されないのである。(他のことが気になって忘れてしまう。あるいは他の仕事に逃避する)

英語には"procrastination"という単語がある。「やるべきことをやらずにグズグズすること」「だらだらして着手しないこと」という意味である。海外のADHD情報に触れていると、しょっちゅうお目にかかる。

現に、今のわたしがそうだ。

今週末は決算しなければならない。不退転の決意で取りかからねばならない。

仕訳は完了している。後は手順に従って「税理士いらず」にCSVをインポートして、別表をチェックをして、印刷すればいいだけだ。

でも、それが出来ないんだなあ。

こうしてブログをだらだら書いている。こんな風に文章を書く時間があれば、決算など終わってしまう。

(あ。このブログ終わったら買い物でも行こうかな。今日はスーパーの安売りの日だ。そうだ。シャツにアイロンかけなければ。)

まあ、結局、やると思う。

多分、明日やる(まさにProcrastination)。やらないと大変なことになることは、身に染みて分かっている。ADHDの特性のおかげで、山ほど苦い経験をしてきたのだ。

「まだやってないのか。散々言ったろう」
「自分のやりたいことばかりやりやがって、やるべきことは全然やらない」
「自分の出来ない仕事を、他の人に押し付けるなよ」

上司や客、友人たちから怒られ、信頼を失い、嫌われて・・・

自己嫌悪が尽きないわけである。

でも、なぜか昨日は胸を張ることができた。

いいじゃないか。自分の得意なエリアで成果が出せれば。上等だろう。迷惑を掛けたってお互い様じゃないか。

それがオレ(with ADHD)だ。

ADHD者が自分に正直に生きるには、自分を肯定して生きるには、我を通す他はないようである。

neurotypical人のルールには、従おうと思って従えないのだ。だから、多少の衝突は当たり前なのだ。迷惑を掛けるのも当然だ。こちとらneurotypical人のルールに小さい頃から散々苦しめられて来ているんだから、お互い様である。というか、むしろ子供時代のオレに謝れ。

ADHDルールで生きる人はマイノリティだから苦労する。それだけの話なのである。

開き直って、強く生きるしかないと思うのだ。