A Life With Adult ADHD

2014年にADHD持ちであることを確信し、2017年に自身のサイコパス属性に気が付いた一人会社IT社長のブログ

快適に人生をやり過ごすために。【皆さまのADHDブログ

「13年前のこと・・・」(翻訳)

Thirteen Years Ago Today…

再び翻訳。大変な人生である。共感しきりである。

この投稿がどんな結末になるか自分でも分からない。13年前のことだ。僕は裁判官の前に立っていた。運命が決定したのだ。彼は言った。「10年の間、武器の所有を禁ずる」。心臓は沈み、膝がガクッと曲がった。心はくじけていた。宣告が終わり刑が確定したことで、解放された気がしたのも確かだ。一年と半年の間、僕の生活はずっと法廷組織に「拘留」されていた。宣告を知った。とうとう自由だ。二年の執行猶予と、10年間の武器禁止令。21歳。十分成熟した年齢だった。ある日、激しい怒りに任せて電話で人を脅してしまった。僕はその時、大人のADHDという相手と暗に格闘していたのだ。でも、その時はそれを知らなかった。見えない相手と戦うことは出来ないのだ。

.

13年後。まるで円環を描いたような人生だ。僕は来年(訳注:2014年)に世界に出せる(と思いたい)パワフルな物語を考えている。今僕は本を書くミッションにある。「大人のADHD自叙伝」だ。自分自身を見出すために経験した、人生の出来事や、必死の苦闘を皆と共有するのだ。素晴らしい時間。悲劇。そして終わらない苦闘。この投稿は感謝の念を示す2回目(そして3回目)のチャンスだ。チャイを飲みながら、2000年11月8日から起きたことを思い出す。そして大きな真実を悟る。いろんなことがあった。弟ライアンの自殺という悲劇。素晴らしい友情のこと。美しさと祝福に満ちた旅のこと。常に美や祝福が見えていたわけではない。でも、最も暗い時にも、何かが僕を推し進め、何かが僕に生きる希望を与えていた。愛した人。友人。そして僕のストーリーを通して他人を助けたいという意志は、生き続けるための贈り物になった。今になって、そのことがよく分かる。

.

法廷にいたころを思い出してみる。その時、汚名を晴らすために自らに課した10年間のミッションは、自分が有能であることを証明し、装甲車産業で働くことだった。僕は壊れていた。「夢を実現するために、そして銃のライセンスを取り戻すために、どうやって10年間を生き延びたらいいんだ。神様(いや、誰でもいい)、一体どうしたらいいか教えてくれ。今だって自分という牢屋に囚われているんだ!自分の胸や、自分という存在や、自分の魂を踏みにじる、僕の激情とどうやって生きろというんだ!確かに僕は失敗してトラブルに巻き込まれた。でも、僕は自分のミスよりはましな人間だ!」

.

この時頭の中で、心の「スイッチ」がカチッとオフになる音が聞こえた。

.

「分かったよ。ちきしょう。犯罪歴が綺麗になる日まで待とうじゃないか。装甲車企業への完璧な応募者になってやる。僕の勇気を示すために、軍隊にだって入ってやるさ」。でも、軍隊は僕の申し込みを却下した。その時、借金を返すことができなかったから、クレジット・レポートにキズがついていたんだ。僕はADHDとともに生きていた。心の底に悪意にも近い強烈な決心を抱えながら、どうやって次の週を、月を、年を過ごせたのか?

.

結局のところ、僕は生き延びた。ほとんどギリギリだったけど。地獄を抜け、また戻ってきた。その結末は?あるいは皮肉は?10年後、すぐに真の戦いが始まった。僕はくたびれ果て、自殺寸前まで来ていた。決心が強過ぎたのだ。それから僕を悩ませたG4S社(カナダの会社だ)やその他の会社の人事担当者たち。大人のADHDと僕の競争心があくまで僕を進ませた。台無しにしようとしたり、せっかく掛けた橋を燃やしてしまおうという気持ちもあった。でも止められなかった。夢を実現するためにはコントロールする必要がある。僕はそれを絶対に諦められなかった。武装ガードマンの職を得るために強く見せる必要があるのなら、誰でもいいから小突きまわしてやろうとすら思った。やれやれ。本当にそんな振る舞いをしかねなかったよ。願わくば外の人々は僕の失敗から学んで欲しいね。

.

13年後。僕は学んだ。受け流すことを。そして常に自分自身にリマインドするのだ。この瞬間をちゃんと生きるために。毎日注意深く瞑想するようにもなった。僕が直面したこと全てをここに書くつもりはない。読みたければ、この本を読んで欲しい(^-^) (訳注:鋭意作成中の模様)。ここに書ける深いメッセージは、自分の今までのやり方を変えてみると、人生をずっとより良くできるってことだ。僕みたいにね。自分の時間を自分に投資するんだ。自分の進歩を傷つける振る舞いが何か、理解するんだ。例えば僕が人事の奴らとやりあった時みたいに。特定のことがらが、明らかに自分を傷つけていることが分かるだろう。

.

僕がADHDだと診断されたのは2011年。全てが変わった。それから2、3度つまづいたことはあったけれど、精神病棟にも入って、僕はとうとう自分を受け入れ、愛することができるようになった。今までなかったことだ。さあ。僕はクリーンになった。これから人々を助けるために語るのだ。人生を捧げるつもりだ。その行為を通して僕自身も助けられる。人を助けることで僕も助かる。君たちは、独りじゃない!

.