A Life With Adult ADHD

2014年にADHD持ちであることを確信し、2017年に自身のサイコパス属性に気が付いた一人会社IT社長のブログ

快適に人生をやり過ごすために。【皆さまのADHDブログ

ここではない~どこかへと~

自称ADHD者が、確定ADHD者から攻撃される理由は分かる気がする。

ADHDのオレはこんなに苦しい。ヤツはADHDだと自称しているが、本当にADHDならオレと同じ苦しみを味わっているはずだ。しかるに、オレと同じ苦しみを抱えていて社会生活を送られるはずがない。ゆえにヤツはホンモノのADHDではない」

理解できる思考パターンである。ADHDらしいとも思う。

社会生活を(少なくとも表面上は)平穏に送れるくせにADHDかよ!と突っ込まれても、申し訳ないと答えるのみである。

それでも、内面生活はかなり大変なことに間違いはない。8時間椅子に座っていることが求められるプロジェクトに入ると、大変な苦痛である。それに、どこに行っても落ち着かない。感情も爆発しやすいから、押さえつけるのに苦労している。

転職を繰り返し(大した回数ではないけれど)、最終的に独り会社を立ち上げた人間の内面生活が、平穏なわけがない。

アメリカの情報を見ていると、ADHD持ちの医師がブログで発信しているのをいくつも見つけることができる。だから、必ずしもADHD者の社会生活が破たんするというわけでもないと思う。

それでも、ADHDをこじらせて大変な目にお会いになっている方からすれば、ずいぶんマシな方なのだろうと心するのである。

さて、本題。

確かGLAYの歌だったと思う。サビに「ここではない~どこかへと~」という歌詞があったことをよく覚えている。

このフレーズは、まさにADHD者の鍵だよなあと思う。常に「ここではない、どこかへ」行きたいと思っている。それがADHDなのである。

落ち着きがない。安んじることがない。常に「ここではない、どこかへ」行きたいと願っている。

特に会社に行く前。このまま出社しないで済んだら、どれほど嬉しいだろうと思う。(これはADHD者に限らないか)

しかし、ADHD者の問題は「出社しなければ安らかに過ごせる」わけでもないという点にある。

たとえ会社をサボッたとしても、結局は何かに追い立てられるように、イライラウロウロと歩き回るだけなのだ。

家にいても「ここではない、どこかへ」と脳が命じるのだ。

しかし、「ここではないどこか」。そんな場所は存在しない。

存在するのは、「今・ここ」しかない。而今なのである。(ちなみに「而今」という美味い日本酒がある)

ADHD者は常に、そんな幻の場所に駆り立てられているのである。

厄介といえば厄介だが、面白い人生だと思えば、思えなくもない。

年を取るにつれて、少しずつ、ほんの少しずつ楽になってきたことは間違いない。

「ここではない、どこかへ」駆り立てられつつ「今・ここ」に立脚しつつ、大事に生きていこうと思うのである。