A Life With Adult ADHD

2014年にADHD持ちであることを確信し、2017年に自身のサイコパス属性に気が付いた一人会社IT社長のブログ

快適に人生をやり過ごすために。【皆さまのADHDブログ

いかに落ち着くか (ADHD者と禅)

禅やヨガに惹かれたのは、若い頃から「まともとは思えない自我(with ADHD)」という厄介なモノに苦しめられてきたからである。

衝動的に発言して人間関係を壊す。衝動的に行動して怒られる。トコトン落ち着きがない。興味の持てない仕事や宿題には全くモチベーションが上がらない。結局、雑にやっつけるか納期を守れず周りに迷惑をかけたり、後でイヤな目にあったりする。

周りと軋轢が生じてどうしようもない。当時はADHDという解もなかった。どうも参ったということで、中高生の頃は小説やアニメ方面に逃避し、大学生以降は哲学や心理学や宗教に解を求めた。

当然というかなんというか、結局のところ哲学からは大した救いを得られなかった。

というか、今では哲学者って自閉症スペクトラムが多いんじゃないかと思っている。だって「他者問題」ですぜ?『他者が存在していることが、なぜ「自我意識」から分かるのか』。自閉症じゃなきゃそんな問いは立てない。「モナドは閉じている」のライプニッツだって、まさに自閉症の世界観だ。カントは自己意識で世界観が完結しているし。ヘーゲルだって壮大な自閉症史観ではないか。フッサールは少しカントの殻を破る方向に進めようとしているけど、意識の構造を深堀りしているだけだし。西洋哲学の基礎って、自閉症世界観だったのか。(極論)

哲学に惹かれる人が必ずしも自閉症ではないから気の毒である。わけのわからない文章を散々読まされて、ようやく分かった結論が「皆さん、アスペの人だったのね」。(もちろん、アスペの人を馬鹿にしているわけではない。有名な哲学者たちの細部への異様なこだわりや徹底的な思弁能力はさすがだと思う)。今思えば脳神経科学とか子供の精神病理学方面に興味を持っていれば、早く解に辿りつけただろうと思う。今更といえば今更である。後悔する気も起きない。

やれやれである。

閑話休題

哲学も面白いといえば面白かったが、自分に引きつけて考えるには違和感があった。

次に心理学。フロイトユングもピンとこない。次に精神病理学。これもピンとこない。オレには統合失調症のケがあるんかいな?と仮説を立ててみたがすっきりしない。

宗教。一神教には到底馴染めない。仏教も地獄とか極楽とか南無阿弥陀仏とか、興味深いけれど違和感がある。(当時、友人がオウムの勧誘に誘われていて「面白そうだ」などと言っていた(結局彼は入らなかった)が、わたしは全く興味なかった。あくまで個人的な課題の解を求めていたからである。新興宗教じゃダメだ、と直感していた)

禅。ヨガ。これは、イイ(・∀・)と思いましたね。

惹かれたのはズバリ「身体の方から精神を追い込む」という方法である。「自分なんて結局『無』じゃねーか」という割り切りである。

頭の中で上がる花火を何とかする方法・思想としては、最適ではないか。

「ただ座るだけ」というのもいい。

ヨガには「死体のポーズ」(だっけ?)というのがあり、これなぞ大の字になってリラックスするだけでいい。

どんなに飽きっぽい、落ち着きのないADHD者にでも実践可能である。

ただ座り(大の字になり)、呼吸を整え、凝った筋肉を一つ一つほぐしていく(肩、首、眉間、眼)。

思考をストップし、ただ感覚を受け入れてみる。無だ、と思ってみる。

するとあら不思議、脳内の花火が少し落ち着いてくるのである。

禅でいう悟りとは関係がないのだろいうが、ADHD者の気分を落ち着けるには禅(やヨガ)は優れた方法だと思うのだ。