A Life With Adult ADHD

2014年にADHD持ちであることを確信し、2017年に自身のサイコパス属性に気が付いた一人会社IT社長のブログ

快適に人生をやり過ごすために。【皆さまのADHDブログ

ら抜き言葉

カネを積まれても使いたくない日本語」を読んだ。

いわゆる「几帳面なオバハンの小言」である。読んでて鬱陶しいなあと思う。

鬱陶しいと思うが、ところどころ共感する。

やはり綺麗な日本語は使いたい。耳に心地よいからだ。

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「ぶっちゃけ」が席巻したのは、10年ほど前だろうか。

「ぶっ」と「ちゃけ」である。「ぶっ」には動物的な直截さがあり、「ちゃけ」には皮肉な憎々しさが含まれる。そんな下品さがウケたのであろうか。

尊敬するマネージャーが「ぶっちゃけ」と言うことに違和感を覚えながら、何となく真似したことは覚えている。

まず、流行りがある。

周りが何となく新しい言葉を使い出す。

それに乗って何となく使ってみる。ニュアンスが伝わるような気がする。頻繁に使うようになる。

使っているうちに違和感があれば、次第に使わなくなる(ぶっちゃけ)。なければ、そのままである。

ら抜き言葉は難しい。

子供に話す時はどうしても

「来れたか?」「食べれたか?」

となる。

「来られたか?」「食べられたか?」

では、微妙に敬語風味が入るような気がしてしまうのだ。子供に敬語風味はおかしいじゃないか。「ら」に、体が拒否反応を示すのである。「ら」を抜いた方がしっくりくる。これではどうしようもない。

言葉は世につれ。世は言葉につれ。

養老孟司氏の本を読んでいても、特に万人受けのする言葉は使っていないようである。

何が正しい、ということもないのであろう。自分なりに言葉に気を使えばそれで十分なのではないか、と思うのである。