A Life With Adult ADHD

2014年にADHD持ちであることを確信し、2017年に自身のサイコパス属性に気が付いた一人会社IT社長のブログ

快適に人生をやり過ごすために。【皆さまのADHDブログ

会社という世間

「御前がその気でなくっても、世間と云うものがあります。出るなら出るようにして出てくれないと、御母さんが恥を掻きます」
 
世間が……」と云いかけて額を持ちながら、首だけ後へ向けた時、細長く切れた欽吾の眼は一度は母に落ちた。やがて母から遠退いて戸口に至ってはたと動かなくなった。――母は気味悪そうに振返る。

 

「少し御待ちよ。――糸子さんも少し待ってちょうだい。何が気に入らないで、親の家を出るんだか知らないが、少しは私の心持にもなって見てくれないと、私が世間へ対して面目がないじゃないか」
 
世間はどうでも構わないです」
 
「そんな聞訳のない事を云って、――頑是ない小供みたように」
 
「小供なら結構です。小供になれれば結構です」

虞美人草」(強調筆者)

世間というのは、君じゃないか」
 
 という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。
 
(それは世間が、ゆるさない)
 
世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
 
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
 
世間じゃない。あなたでしょう?)
 
(いまに世間から葬られる)
 
世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)

人間失格」(強調筆者)

夏目漱石太宰治も苦しめられた「世間」である。

この「世間」、今でも脈々と「会社」に息づいている。

「オレは聞いてないぞ(おこ)」

「勝手なことをするな(激おこ)」

「なんでアイツだけ早く帰ってるんだ(激おこぷんぷんまる)」

定時に仕事を済ませて帰る。ただそれだけのことが難しい。

「一人だけさっさと帰るつもりか?オレは構わないが、周りがどう思うか考えてみたことはないのか?」

「お前だけ楽をしているように見えるんだよな」

「お前にちゃんと仕事を振っていないように見えると、課長が困るんだよな」

ほとんど意味不明である。

日本の会社組織には、未だに明治時代の「世間」や、戦前の「隣組」的な文化が生き残っている。

.

転職先での面接のときに「いつかは起業したいと思っています」と宣言した。

その頃から会社という「世間」には縛られたくない、という思いがあったように思う。

独立に役立つと思える仕事があったら「その仕事、わたしに任せて下さい」と遠慮なく手を挙げた。

仕事が終わるとさっさと「お先です」と帰った。

起業するのだから、出世など考えなかった。会社は利用する対象であり、その中で生きる「世間」ではないと思っていた。

微妙に評価してくれた上司もいたような気もするが、基本的には苦笑いの対象の「変なヤツ」だった。

「知ったことか」と思って、やりたい仕事をやって、定時で帰っていた。いつかは起業して、この会社を辞めてやる。そう思っていたからできたことである。

好きな仕事をやって、早く帰るためには「会社という世間」から一歩出る必要があるということだ。

「小供なら結構です。小供になれれば結構です」

「会社という世間」と折り合って生きていくのは、簡単なことではない。

子供になれるかどうか。まずは、そこに掛かってくると思うのだ。

f:id:scotchandsoda:20131130082437j:plain 「世間」とは何か (講談社現代新書)