A Life With Adult ADHD

2014年にADHD持ちであることを確信し、2017年に自身のサイコパス属性に気が付いた一人会社IT社長のブログ

快適に人生をやり過ごすために。【皆さまのADHDブログ

格差と自己責任

妻のママ友に"良家のお嬢様"と推察される人がいる。時折1,000円程度のランチなどご一緒して(幸いなことにご近所には高級な店がほとんどない)愚痴だの近況だのを話しているそうだ。妻は主に聞き役とのことである。

先日、妻が呆れたようにぼやいていた。

「価値観も環境も違い過ぎるわ」

「どうした?」

「今日AさんBさんとランチしたんだけどね・・・」

Aさんが冒頭のお嬢様、Bさんの旦那さんは地方の名家の出である。若くして(といってもわたしより少し年上)有名大企業の役員を務めておられる。

聞いてみると、ランチの場で華麗なる人脈、お茶にお花に有名私立中学、東大当然、資金潤沢、果ては花嫁修業云々・・・と聞かされて、すっかり疲れてしまったのだそうだ。

これまでそこまでの話は無かったみたいだから、その時ばかりはセレブな話題で盛り上がったのだろうか。

「もうしばらくあの人と合うのはよすわ」

「ははは。(オレが)面白いから、また行ってきなよ」

妻はほぼ中流家庭育ちである。一時期かなりの貧乏暮らしを経験したことがあると聞いている。小学生の頃は五右衛門風呂を沸かして入っていたらしい。テレビでタレントの貧乏自慢話が出た時、たまに鼻で笑っている。わたしはと言えば、団塊サラリーマンを父に持つ、絵にかいたような中流家庭育ちである。80年代に各地方の工業地帯の通勤圏を構成していた、ありふれた家庭だ。

「お嬢さまとかお金持ちって本当に価値観が違うわね」

「だよな。ウチの子はもうMARCHで御の字だもんな」

「それより将来をちゃんと見据えて、目的意識を持って大学行って欲しいわ」

「名家良家だと、東大目指して子供に投資するのが極自然な発想なんだなあ。きっと周りに東大出が一杯いるんじゃないかな」

小さい頃から「東大当然」と刷り込まれ、教育にはたっぷり投資が行われる。またそれだけではなく、それこそプロデューサーとかオーナーとかフィクサーなどといったレベルの人との人脈もある。子供たちには、生まれながらにして大きな差が付いているのだ。

まあ、上を見ればきりがない。AさんもBさんもいろいろ苦労はあるようだし、お嬢様だからといって無条件で幸せというわけでもないようだ。わたしとしても、ありふれた一般庶民として、日々を楽しんで生きる所存にいささかの揺らぎもない。

それはそれとしてふと思い起こされたのが「自己責任」という言葉だ。

幼いころから東大当然とばかりにたっぷり投資を受けて育った子の、どこまでが自己責任なのだろうか?

貧しい両親の元で苦労して育った子の、どこまでが自己責任なのだろうか?

自分より弱い者や、困っている者に対して「自己責任だ」と叫ぶことは、気持ちがいいことなのだろうか。

恵まれた人もまた、「自己責任」という言葉を聞いて気持ちいいと思っているのではないだろうか。

何が「自己責任」なのだろうか。他人を叩くために使われた言葉は、巡り巡って自分に降りかかるのではないだろうか。

「自己責任」というのは、危うい言葉だと思うのである。