A Life With Adult ADHD

2014年にADHD持ちであることを確信し、2017年に自身のサイコパス属性に気が付いた一人会社IT社長のブログ

快適に人生をやり過ごすために。【皆さまのADHDブログ

「ノマドと社畜」あるいは情報と金

f:id:scotchandsoda:20130910193236j:plain ノマドと社畜 ~ポスト3・11の働き方を真剣に考える

世の中には二つのタイプの人間がいる。

専門家の発言や政府統計の数字をベースに考える人と、自分の経験をベースに考える人である。

前者は自分の経験などに重きを置かない。何故ならそんなものは普遍性を持たないから。

後者は数字とか専門家の言うことは絶対に鵜呑みにしない。何故なら、そんな抽象的なものは信じられないから。

前者を「演繹的な人」と、後者を「帰納的な人」と呼ぼう。

演繹的な人は、他人を説得することが得意である。「専門家はこう言っている」「こういう統計が出ている」。キャッチーな言葉を交えながら語れば、簡単に人を納得させることができる。

帰納的な人は、他人を説得することが苦手だ。そもそも、自分でも納得していないのだから。

演繹的な人の意見は、その方法論ゆえの宿命か、しばしば薄っぺらく、つぎはぎで、面白みがない。

帰納的な人の意見は、クセはあるが、時に本質的で、興味深い。

学者や官僚、若いエリートには演繹的な人が多い気がする。

市井で苦労している人には、帰納的な人が多い気がする。

「ノマドと社畜」の谷本真由美氏は「帰納的な人」だと感じた。

文章の中に数字は出てくるものの、あくまでついでに出てくる数字でしかない。基本的には氏の知人や、経験をベースに話が進む。ノマドと社畜の二元論や、ノマド社会は、激越な競争社会に入るであろうという予測には正直完全に同意はできないが、この本が言いたいことには基本的に同意できる。

妻も大変面白がっていた。ワークシフトの次に読むと面白い本だ、と個人的に思っている。

興味を引いた箇所は二つ。

一つ目は、

「ノマド的な働き方を目指すなら、実際にそういう人とあって、話を聞いてみなさい」

まったくその通りである。

「税金はどうしてるんですか?最初の仕事はどうやって取りましたか?売り上げは?経費は?やってみて意外と大変(or楽)だったことは?10年後は何をして暮らしている予定ですか?20年後は?」いくらでも聞くことはあるはずだ。わたしも独立を検討していた頃はそういう情報が欲しかったが、どこにもなくて諦めたものだ。

思い出すのは、友人の起業である。最初に相談されたとき、事務処理とか仕事の取り方とか、将来の展望とか、いろいろ聞かれるのだろうと思ったら、ほとんど聞かれなかった。得にも損にもならないショボイ協力を依頼されただけで「そんなもんタダでいくらでもやったるわ」と言ったら喜んでいた。「これが学生以来の友人にする相談かよ」と空しい思いをしたものだ。

あの時は彼らの態度に全然納得が行かなかったが、今は少し理解できる。友人は「Webで調べれば、いくらでも会計処理とか、仕事の取り方とか分かるだろう」と思っていたのだろう。

Webに必要な情報が全て揃っていると思ったら、大間違いである。わたしですら「これは書かない方がいいよな」と思うことは時折ある。税理士や司法書士が、全ての手順をWebに公開しているわけがない。情報はタダだと思っているとしたら、それは却ってもったいないことだと思う。2万円が戻ってくるんだったら、1万円を払う価値があるのだ。

ということでわたしも「小規模企業のご相談承ります」ページを作って誰かしら引っかかるのを待っているのだが、一通もメールは来ない。起業を考える人がそもそも少ないのか。あってもお金を払ってリスクを減らそうと思わないのか。

誰かに1万円を払うよりも、みすみす2万円損した方がましだぜ。

正直、それも分からないでもないが、理性的な判断とは思えない。「秒速で一億稼ぐ」というバカバカしい情報に1,000円払うのと、数十万円節約するために1万円を払うのと、どちらが費用対効果が高いか。

二つ目。これといった引用箇所はないのだが全体的な「自分の技能に対してアグレッシブであれ。貪欲であれ。強くあれ」というメッセージには力を貰った気がした。

谷本氏はわたしより年下であり、この本は若い人に向けたとのことだが、オジサンだって別に影響されて構わないはずだ。ということで、英語ブログを始めてみた(リンクなし)。英語の技術マニュアルは毎日読んでるし、子供が見ている海外ドラマも、たまに副音声で聞いたりしているから、インプットはそこそこあるのだが、アウトプットがないことに気が付いたのだ。

東京でオリンピックが開催されることでもあるし、ちょっと腰を据えて、継続的に英語でアウトプットを出してみようと思っている。