A Life With Adult ADHD

2014年にADHD持ちであることを確信し、2017年に自身のサイコパス属性に気が付いた一人会社IT社長のブログ

快適に人生をやり過ごすために。【皆さまのADHDブログ

恐るべしフェイスブック

フェイスブックに登録している。

昔の友人のフルネームを検索したり、巡回しているブログのオーナーのページを見たりするが、知り合いを見つけても友達申請はしない。してどうする。と思うし、あっちもされたら困るんじゃないか。などと気を回してしまう。

「知り合いですか」もなかなか精度が高いようで、高校時代の知り合いが2,3人表示されたと思う。でも面倒くさいし、そもそも話すこともないから、あー。アイツだ。懐かしいね。で済ませてしまう。

フェイスブックに登録してしばらくした頃、一緒に仕事をしていた人から友達申請があった。懐かしいですねーなどとあいさつして、友達登録をした。

後日、暇なときにその人のページから友人を辿ってみたら・・・。

出るわ出るわ。「かつて一緒に仕事した」つながりの人々。リンクを辿れば1段、2段深いレベルでずらずらと出てくるという。懐かしいなあ。フェイスブックってスゴイね。と感心してかつての知人を辿って近況を眺めていたら、何だか一気に疲れてきた。

思い出したくもない記憶が、ズルリズルリと脳の奥から這い出て来たのである。悪い思い出ばかりではない。客先での何気ない時間。客先に向かう電車の中で、手持無沙汰だったこと。取り留めもない会話。今となっては正確な記憶かどうかも分からない。むしろ少し捻じ曲がった記憶に違いない。そんな記憶がまだ残っていたことに驚くくらいだ。

ブラウザを閉じ、忘却は正義だと心の底から思った。有用な知識は忘れてはいけないが、人付き合いの記憶は、どんどん忘れる方が精神衛生上はいいらしい。少なくとも、わたしにとっては。

後はフェイスブックにあふれる過剰感。

実名、実顔がそれに拍車を掛けている。

リア充という言葉がある。リアルワールドで楽しく生活を送り、多くの友達がいる人々。それを半引きこもりのネット中毒者たちがこっそり見て鬱になる。そんな図式で使われる言葉だ。フェイスブックで活躍しているのがリア充か、というとそんなこともないような気はする。

むしろ「半引きこもりネット中毒」とは別次元ではあるもの、どこかそれと構造的に似ているというか。

何だかこの辺りを突き詰めて考えていくと、いろいろ角が立つような気もしてきたので、これでおしまいとする。

やっぱり(半)匿名でブツブツ内省的な記事を書いているあたりが、わたしにとっては一番居心地がいいのだな、ということを確認したのであった。