A Life With Adult ADHD

2014年にADHD持ちであることを確信し、2017年に自身のサイコパス属性に気が付いた一人会社IT社長のブログ

快適に人生をやり過ごすために。【皆さまのADHDブログ

チャクラという概念

f:id:scotchandsoda:20130704185103j:plainずっとやりたかったことを、やりなさい。

モーニングページを実践して二週間になる。

朝起きてすぐに3ページ分文章を書く。書くことがなければ「書くことがない」と書けばいい。何かしら書くことはある。楽しかったこと。嫌だったこと。見た夢。ずっと埋もれていた昔の記憶。自分は何がしたいか。欲しいものは何か。自分にとって大事なことは何か。

手で書くことに意味があるように思う。キーボードで文書を作るとカット&ペーストや書き直しが楽であるため、思いをストレートに書き留めることより、文章を作り込むことに時間が費やされてしまう。それでは時間がもったいないし、文章を弄んでいうちに、ありのままの感覚が失われてしまう。思ったことをシンプルにそのまま書きつけるのが良いのだ。

そんな風に朝に文章を書いて何日か経つと、だんだん気分が変わり、自分が解放された気がしてきた。

不思議なことだと思っていたが、今朝その理由を理解することができたと感じた。

何のことはない。モーニングページでやっていることは「嫌いなこと」と「好きなこと」の棚卸しであり「ポジティブになろう」という自己暗示なのだ。

嫌いなことが分かれば、どうすれば嫌いにならないで済むか、嫌いなことから避けられるかを自然に考えるようになる。

好きなことが分かれば、どうすれば好きなことにもっと関われるか考える。

朝一に「自信を持て。ポジティブに楽しく行こう」と自己暗示をかける。

当然、調子がよくなるわけだ。

例えば、毎朝酒の量を減らそう。昼食も腹八分にしよう。早く寝よう。と書きつけている。すると少しずつ体調が良くなってくる。当然と言えば当然のことだが、金も時間もほとんど使わずに世界が変わるんだから、すごいじゃないかと個人的には思っている。

そんなわたしが妻の書棚から手に取ったのがこの本だった。

f:id:scotchandsoda:20130726201009j:plain Yogaではじめる瞑想入門

中身を見ると20~30代の女性をターゲットにした本で「これはオレが読むべき本じゃないな」と思いながらも、それなりに興味深く読み進めていると、ピンと来た言葉があった。

チャクラ(物質的な身体(粗大身)と精微な身体(微細身)にある複数の中枢)」である。

普段われわれは脳が思考していると思っている。しかし、中世ヨーロッパなどでは「心臓が思考している」と考えたという。古代インドでは、意識と体が交わる箇所が、複数あると感じて「チャクラ」と名付けたのだろう。

f:id:scotchandsoda:20130726201449j:plain 画像はWikipediaより拝借

わたしは「チャクラ」を「内臓」と理解した。

内臓は寡黙である。しかし調子が悪くなると「胃が重い」「下腹部に差し込みが来た」「頭痛がする」といったように、われわれの気分を大きく害する要因になる。逆に調子が良いと(わたしの場合は数日間酒量を少な目にしたりすると)目覚めがやたら爽やかだったり、空の青さにワクワクしたり、昼食に何を食べるか楽しみになったりする。「現存在は気分づけられている」とはハイデガーの言葉だが、むしろ「現存在は内臓の調子に強く影響されている」と言い替えた方がよいのでは、とすら思う。

チャクラを乱さない。チャクラを大事にする。この言葉、そのまま内臓にも当てはまる。不調でなければなかなか気にすることのない内臓であるが、われわれの生活の質の向上に大いに関係がある、重要な要素なのだ。

このチャクラ≒内臓に気が付いてから、ヨガのポーズを取ったり、坐禅を組んだりすると今までとは何かが違う気がする。

体の奥底に神秘がある。寡黙にうごめいている、われわれの生に不可欠な物体。それが内臓である。にもかかわらず、普段は全く意識されることはない。実に神秘的だ。いや。まさに神秘そのものではないか。その神秘が、今、この身体の中にあるのだ。

小宇宙。という言葉が浮かぶではないか。

言葉と論理で世界を把握しようとする西洋哲学では、どうしても限界があるな。と思いながら、坐禅を組み、ヨガのポーズを取りながら、存在の深みに立ち入って、声なき声を聞く。

そして、生きているということは面白いものだと思うのだ。