A Life With Adult ADHD

2014年にADHD持ちであることを確信し、2017年に自身のサイコパス属性に気が付いた一人会社IT社長のブログ

快適に人生をやり過ごすために。【皆さまのADHDブログ

禅とか

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Devotion, Bar Harbor 1990.jpg / Big Mind Zen Center

西洋哲学は興味深くはあるものの、世界観を論理的思考とか言葉で捉えるのは、やっぱり無理があるよな。という(恐らくは東洋的な)違和感に辿り着いたわたくし。

(西洋文化では、言葉とか論理に対して絶対的な信頼を置いてる気がしますね)

次に仏教系の本を読み漁って、こっちの方がしっくりくるなと。

ロジックにあまり頼らず、ズバッと「空だ。無だ。悟りだ」と言い切るところが気に入りました。うん。何となく分かる。って感じ。

しかし、頭で何となく分かっても仕方がないんですな。

人生は空しく、苦しいんだ。そのことを悟って楽になろうよと。周りの人に親切にしようよと。

頭では分かる。しかし、会社で嫌なことがあればそのストレスで子供をキツく叱ったりもしてしまうし、妻にモラハラまがいの嫌味を言ってしまうこともある。

頭だけでは限界があるのです。

頭で分かるだけではダメ。もう少し深くコミットしなきゃいけない。となったときにどうするか。

法然さんなら「ま、とりあえず南無阿弥陀仏と、唱えなさい。それだけで、いいんだよ」ということになる。

親鸞さんなら「難しいこと考えなくても、悪人だってそのまま救われるんだよ。あんたはそのまま救われてるんだ」と、こういうことになる。

法然さんのお言葉も親鸞さんのお言葉も感動的ではありますが、汚れっちまったわたくしには、ちょっと素直に受け入れられない。

やっぱ禅かな?っていう気がしたんですわ。

f:id:scotchandsoda:20130719102331j:plain 禅 (ちくま文庫)

f:id:scotchandsoda:20130716205254j:plain臨済録 (岩波文庫)

f:id:scotchandsoda:20130719105620j:plain 現代文訳 正法眼蔵 1 (河出文庫)

f:id:scotchandsoda:20130719152330j:plain ただ坐る 生きる自信が湧く 一日15分坐禅 (光文社新書)

只管打坐。とにかく座れと。

イエッサー!

悟れはしなくても、悟りの入り口までは行けるんじゃないかというわけで。

勝手坐禅を始めたのです。

でも、ダメですね。

朝起きて、座禅してみる。

1時間30分後には仕事に行かなきゃならない。行く前にメールチェックと天気予報チェックはしたい。子供が「時間割やってない!」と叫んでいる。妻が子を叱りながら、慌ただしく朝食の支度をしている。そんな環境で座っている。

こりゃ、無駄だということに三日目くらいで気が付くわけです。

じゃあ、電車の中はどうか。坐禅は組めなくても、瞑想くらいできないか。

はい。ムリです。

じゃあ、自転車圏内の禅寺で、早朝坐禅会とか日曜座禅会とかやってないか。

やってません。(あいつらホントに宗教家か?)

諦めましたね。

恐らくは、禅というのは、ある程度世俗とは切り離された環境でやらないと効果は薄い。

例えば合宿とかね。静かな山の禅寺に一週間ほど。規則正しい生活をして、姿勢を伸ばして粗食を食べて、寺の掃除したり畑を作ったりして、その中で何時間も座る。

一定期間、システマティックに、体を追い込んでいかないと、悟りはおろか、その手前までも、到底たどり着けないんじゃないか。

ということで、何となく禅についても興味を失って、「副業ないか副業。不労所得はないか」などという状態になっていたのがここ数年だったのです。

続く。(多分)