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A Life With Adult ADHD

2014年にADHD持ちであることを確信し、2017年に自身のサイコパス属性に気が付いた一人会社IT社長のブログ

快適に人生をやり過ごすために。【皆さまのADHDブログ

人生で最も幸せな時間って、いつだったっけ?

などという問いが唐突に頭をよぎった時にすぐに浮かんだ答えが「小学生の夏休みと大学生の夏休み」でした。

小学生の夏。団地の前に青い田んぼが広がっていて、ぼけーっと眺めていたもんです。

ラジオ体操の後で夏休みの宿題を少しだけやって(「少しでも涼しいうちに勉強しなさい!」)団地の公園に行けば大抵誰かが遊んでたから、そのまま昼まで野球や缶けりや鬼ごっこ。昼はソーメン食べて、アイス食べて、本を読みながらごろごろしたり、プールに行ったり。

大学生の頃。

暑いなあ。昼メシどうしようかなあ。面倒くさいなあ。今日もやることないなあ。などとチャリでぷらぷらしてたら喫茶店を見つけて、今日はちょっと奢って喫茶店でサンドイッチでもつまむか。あー。アイスコーヒーうめー。涼し-。なんてね。

あの夏の空気は、今でもよく覚えてるなあ。

中高生の頃は思春期だったしひねくれてたし何となく抑圧感もあったしで、そんなに楽しい記憶は残ってないなあ。

などと考えていて、さらにふと思ったのが「そういえば小学生の頃も大学生の頃も当人は『幸せだなあ』と思って生きてるわけじゃなかったよな」ということ。

小学生の頃。友達と遊んでるときはそりゃ楽しかったけれど、それ以外は「お腹減った。つまんない。勉強いやだ。アイス食べたい」などとグダグダに生きてたし、大学の頃は「やることない。友達少ない。本を読む気にもならない。映画は高いし。バイト面倒臭い」などと、コンプレックスと青臭い悩みに囚われてグツグツ生きてただけだし。

何で今になって「あの頃は幸せだったなあ」って思うんだろう。

とにかく言えるのは、夏をものすごくリアルに感じてた時期が、小学生と大学生の、無心で生きていた頃だったというわけ。

いや、「無心」じゃないな。もっと適切な言葉があります。「ヒマしてた頃」。

「ヒマを持て余していた時間」が今になって「濃密に生きた時間」「幸せだった時間」として思い起こされているという事実。

そう言えばそうかもな。

心を亡くすと書いて、忙しい。なんていうもんね。

仕事とか宿題とか不安に追われる時間じゃなくて、ヒマな時間こそが本当に生きてる時間なのかもね。

などという方向に話を持って行くと何だか「ひろさちや」みたいなので方向転換。

もう一つ考えてみると、小学生の頃の時間も、大学生の頃の時間も、もはや存在しないんですな。

過ぎ去ってしまった。過去は存在しない。

あるのは今を生きるわたしの記憶だけ。

小学生の頃の時間も、大学生の頃の時間も、今、ここに生きているわたしの記憶という形でしか、存在してないわけ。

とすれば。

「濃密に生きた時間」という記憶を持つわたしが今濃密に生きたっていいじゃないか。

と、ふと気が付いた途端、何だか小学生や大学生の頃の夏が、戻ったような気がして。

ああ。これはあの時の夏の空気だ。

と思ったときに、かつての小学生のわたしも、大学生のわたしも、今、ここに生きているんだなあ。などということが、夏のリアリティとともに感じられたのさ。

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f:id:scotchandsoda:20130709145054j:plain「いいかげん」のすすめ

f:id:scotchandsoda:20130709145114j:plain存在と時間〈上〉 (ちくま学芸文庫)