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A Life With Adult ADHD

2014年にADHD持ちであることを確信し、2017年に自身のサイコパス属性に気が付いた一人会社IT社長のブログ

快適に人生をやり過ごすために。【皆さまのADHDブログ

サイコパスに共感してみたものの

サイコパス 中二病

ソシオパスの告白

ソシオパスの告白

40にして中2病発症ってとこですかね。

ケヴィンダットンの本は、自己啓発に偏りすぎだったというか。

サイコパスはとりあえずは脇に置いておこうかと。

今、小説にチャレンジ中です。朝令暮改、続かなくてもいいから、何でもやってみよう!

サイコパスと倫理観

サイコパス

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(写真は関係なし)

倫理とか道徳とかルールとか社会規範とかに対して、まずはむき出しの敵意を感じてしまう。

ふざけんなよ?ナニサマだ?という感じだ。

ルールを破ることに、快感を感じる。と言っても、過言ではないのである。(ドン引きされても仕方ないと思う。

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サイコパスらしさ」にはいくつか軸があるらしい。

サイコパスに学ぶ成功法則

サイコパスに学ぶ成功法則

この本のp18,19に亘って、サイコパスの特性が書いてあって、その11番目が「良心の欠如」である。

「良心」というのが誤訳というか、翻訳の難しいところではないか、と原文を読まずに思う。(間違いなく conscious だろうな)

conscious。

aware of and responding to one's surroundings.

having knowledge of something.

だそうだ。(by google

周りの反応に気が付いていること。何かを知っていること。となる。「空気を読んでいる」という訳の方が適切ではないだろうか。逆に、良心という言葉が、英語にあるのか。無いんじゃないか。(ま、いっか。)

とにかく、ルールが大嫌いだ。

後は後付である。「ルールを守ってると非効率的だ」「本末転倒ではないか」などと理論武装する。「絶対にバレない」かつ「バレてもペナルティが少ない」かつ「メリットがある」なら、確実にルールを破る。特に、人を不幸にするルール。そんなルールが多すぎる。ルールに縛られた人が不幸になるルール。破るのが当然ではないか。

こういう思想は、若い人にはオススメしないけどね。(いや、逆におすすめかも?)

「良心の欠如」ではない。あくまで「皆の為にルールを破る」のである。そのために「我が道を行く」のである。

倫理とか道徳とかルールとか社会規範なぞ、クソ喰らえ

なのである。

以上だ!

右の頬を打たれたら?

サイコパス

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(写真は関係なし)

右の頬を打たれたらどうするだろうか。

  1. 左の頬を差し出す
  2. 相手の右の頬を打ち返す
  3. 相手の右と左の頬を打ち返す(倍返しだ)
  4. 黙ってその場を去る

1. 左の頬を差し出す

キリストさんには申し訳ないが、最悪のストラテジーだと思われる。
恐らくは何の解決にもならない。相手の良心に期待する?時間の無駄である。下手をすれば、もっとひどい目に会う。

2. 相手の右の頬を打ち返す

相手に「こっちだって黙っちゃいないぞ」という意思表示である。理論的には妥当なストラテジーかもしれない。ただし、相手が恨みをさらに募らせる可能性はある。(殴り合った後に和解することは期待できないだろう。小学生じゃあるまいし)

3. 相手の右と左の頬を打ち返す(倍返しだ)

半沢さんには申し訳ないが、あまりよろしいストラテジーではないと思われる。相手を再起不能なまでに叩きのめす覚悟とエネルギーが必要だ。非合法なレベルで仕返しすると、逆にこっちが警察のお世話になる可能性だってある。

暴力的でIQの低いサイコパスはこの反応を取るだろう。

4. 黙ってその場を去る

これが最善である。復讐するエネルギーがもったいない。中途半端に復讐すれば、相手の敵意を増やす可能性がある。徹底的に復讐すれば相手はビビってこちらに一目置くかもしれない。でも、その手段に依ってはこちらが社会的に拙い立場に置かれるかもしれない。

「正義の復讐」はテレビの画面で見る分には気分が良いが、法に縛られ、様々な利害関係が絡む現実社会では、そう簡単にはいかないのだ。

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サイコパスに学ぶ成功法則

サイコパスに学ぶ成功法則

この本によると、どうやら「4. 黙ってその場を去る」が「良いサイコパス」が取るストラテジーとのことだ。

共感度の低さ
を以て、相手の怒り・侮辱・暴力をスルーする。

重圧化での冷静さ
を以て、状況を判断し、

衝動性
をぐっと抑える。

冷酷さ
を以て、あっさりとその人との人間関係を切る。

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正直自分もそこまで鮮やかで速やかな対処はできないが、まあ、大体のところ、トラブルを上記の流れで処理するよう訓練してきた。暴力や侮蔑の言葉は、大人社会ではマイナスにしかならないからね。

面白いのは、定型脳者にとっては「人間関係を切る」のも「切られる」のも実に耐えがたいことらしい、ということだ。

バイ人間をサクッと(2chで言うところの)COすると、周囲は明らかに当惑したり、場合によってはここちらが怒られることもある。

友人A「そんな風に人間関係を終えるのは良くないぞ(怒)」

「いや、アイツと付き合うのはただの時間のムダだぞ」

友人A「だからそういう考え方が傲慢なんだよ(怒)」

といった具合にである。その後Aから「いや、悪かった。お前が正しかった。アイツは本当にダメだ」と言ってきたことがあるから面白い。人をすぐ攻撃したり、侮辱する傾向のある奴と、だらだら付き合い続けても仕方がない。サクッとCOするのが効率的なのである。

それこそ中学生の頃からこの人生観が身についていた。

当然、この考え方には副作用がある。

「人間関係なんて、脆いもんだ」という洞察と表裏一体なのだ。

「無駄な人間関係はCO!人間関係なんて脆いぜ!」ってな具合だから、私には昔からの友人はほとんどいない。当たり前だ。

今になっていろいろ付き合いが広がって来て(薄~い付き合いだけど)、定型脳者がどんな細いつながりでも大事にすることを実感して、感心しているのだ。